2006年 11月 21日
報道の影響
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自分の中学生の頃って、確か校内暴力が言われ始めた頃で、新聞でもそんな記事をよく目にしたような記憶がある。
小学校高学年ぐらいから新聞って読めるわけで、当然、中学生にもなるとなんやかんやと新聞に目を通していた。
そういや余談だが、中学1年生のときに社会の先生から「天声人語」を読むように薦められた記憶がある。あと、それを読んで感想を書いてくるように、朝日じゃない人はそれと同じようなコラムを読んで…という宿題もあったような。これって、もしかしてある種の思想教育をされていたんやろか。その先生の言動って全然記憶に無いけど、考えすぎか。
ところで、校内暴力。
自分も含めて、その年代って先生になんやかんやと口ごたえしたりしていた。(断っておくが私は先生の指示などで理不尽と感じたときに口ごたえをしていたわけで、態度を注意されて逆らったとか、意味もなく反抗するようなそんな粗暴なことはしていない。)
でも所詮、ひと昔もふた昔も前の田舎の中学生。なんぼなんでも先生を殴る、というような所まではいっていなかった感じではあった。
が、その新聞やテレビの報道で校内暴力の記事を目にするたびに、なんだか知らず知らずのうちに妙にテンションがあがっていた記憶がある。
それでかどうかはしらないが、うちの中学校でもとうとう先生を殴ってしまったやつがいて(改めて断っておきますが私じゃないですよ)、その話が瞬く間に生徒の間に広がって、異様に興奮したのを覚えている。
自分の学生時代、生徒が先生を殴ったというのは、覚えているのはこの一件だけだが、自分の中ではメディアにあおられて、全体的に高揚してきたところでこの一件に至ったような気がしてならない。
転じて、学生の自殺報道。
これってマスコミが騒げば騒ぐほど、結果として、自殺を助長していることになっているように思えて仕方がない。
中高生という多感な年頃に、つらいことやしんどいことがあったときに、ふと「自殺」という言葉がよぎることは、程度の大小はあれ結構あるのではないか。
というのも自分自身、そんな経験があったりする。
中間や期末のテスト期間中の勉強が、なんだかとてもしんどいと思うときがあって、別に親に「勉強しろ」と言われたわけでもないのに、やらねばならない、というそのプレッシャーをとても強く感じていた。それで、なかなか勉強する気にならないし、気分転換にお風呂につかってボケーっとしてて、気がついたらいろいろと死ぬ手段ばかりを考えていた。
ハタと「わいは、いったい何を考えとんねん」と思ったそのシーンをすごく鮮明に覚えている。
このときのようにハタと立ち止まれればいいけど、いじめなどで私なんかよりももっともっとつらい思いをしているときに、思春期の感情の高ぶった中で命の重さもよく考えられないままに、そのままどんどん深みにはまって、そんなところへたまたま目の前にあった「自殺」と書かれた新聞などをボケーっと見ているうちに、ますますそこから抜け出せなくなって・・・みたいな事もあるんじゃないか。
こんなに立て続けに自ら命を絶つ中高生がいるのは、つぎつぎと流されてくる自殺報道が、結果として、そのはまっていく手伝いをしていることになってしまっているのではないか、と思ったりしながら、じゃ、親としてなにをせねばならないか・・・いろいろと考えさせられる。
小学校高学年ぐらいから新聞って読めるわけで、当然、中学生にもなるとなんやかんやと新聞に目を通していた。
そういや余談だが、中学1年生のときに社会の先生から「天声人語」を読むように薦められた記憶がある。あと、それを読んで感想を書いてくるように、朝日じゃない人はそれと同じようなコラムを読んで…という宿題もあったような。これって、もしかしてある種の思想教育をされていたんやろか。その先生の言動って全然記憶に無いけど、考えすぎか。
ところで、校内暴力。
自分も含めて、その年代って先生になんやかんやと口ごたえしたりしていた。(断っておくが私は先生の指示などで理不尽と感じたときに口ごたえをしていたわけで、態度を注意されて逆らったとか、意味もなく反抗するようなそんな粗暴なことはしていない。)
でも所詮、ひと昔もふた昔も前の田舎の中学生。なんぼなんでも先生を殴る、というような所まではいっていなかった感じではあった。
が、その新聞やテレビの報道で校内暴力の記事を目にするたびに、なんだか知らず知らずのうちに妙にテンションがあがっていた記憶がある。
それでかどうかはしらないが、うちの中学校でもとうとう先生を殴ってしまったやつがいて(改めて断っておきますが私じゃないですよ)、その話が瞬く間に生徒の間に広がって、異様に興奮したのを覚えている。
自分の学生時代、生徒が先生を殴ったというのは、覚えているのはこの一件だけだが、自分の中ではメディアにあおられて、全体的に高揚してきたところでこの一件に至ったような気がしてならない。
転じて、学生の自殺報道。
これってマスコミが騒げば騒ぐほど、結果として、自殺を助長していることになっているように思えて仕方がない。
中高生という多感な年頃に、つらいことやしんどいことがあったときに、ふと「自殺」という言葉がよぎることは、程度の大小はあれ結構あるのではないか。
というのも自分自身、そんな経験があったりする。
中間や期末のテスト期間中の勉強が、なんだかとてもしんどいと思うときがあって、別に親に「勉強しろ」と言われたわけでもないのに、やらねばならない、というそのプレッシャーをとても強く感じていた。それで、なかなか勉強する気にならないし、気分転換にお風呂につかってボケーっとしてて、気がついたらいろいろと死ぬ手段ばかりを考えていた。
ハタと「わいは、いったい何を考えとんねん」と思ったそのシーンをすごく鮮明に覚えている。
このときのようにハタと立ち止まれればいいけど、いじめなどで私なんかよりももっともっとつらい思いをしているときに、思春期の感情の高ぶった中で命の重さもよく考えられないままに、そのままどんどん深みにはまって、そんなところへたまたま目の前にあった「自殺」と書かれた新聞などをボケーっと見ているうちに、ますますそこから抜け出せなくなって・・・みたいな事もあるんじゃないか。
こんなに立て続けに自ら命を絶つ中高生がいるのは、つぎつぎと流されてくる自殺報道が、結果として、そのはまっていく手伝いをしていることになってしまっているのではないか、と思ったりしながら、じゃ、親としてなにをせねばならないか・・・いろいろと考えさせられる。
by ozin05
| 2006-11-21 23:55