2010年 08月 14日
みんなでやる
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小学校の頃ってそこそこできる子だった自分は、でもずーっと「積極性に欠けます」と通知簿では書き続けられていた。が、みんなからいろんな委員に選出されるなどしてちやほやされるうちに、実は最後の最後、卒業記念作品を作るときには、「みんなに任せられない、それじゃいいものができない、自分がやらねば」と思うような恥ずかしいまでの自信過剰な子になっていた。
中途半端にチヤホヤされて天狗になっていたのが、今となっては手に取るようにわかる話であるが、当時は真剣にそんなことを考えていた瞬間があった。といっても積極性に欠ける地味なタイプなので、そう思っただけで、それにできあがった作品は、やっぱりみんなの力でいい作品になり、そのときに(かどうか記憶は定かでないが)やっぱりみんなでつくることの大切さを学んだような気がする。
そんな幼少期もあってか?、逆に今は、いかに大勢の人に関わってもらうか、そのプロセスが本当に大事と心底思うようになってきた。特に「まちづくり」という仕事に関わるようになってからは、誰が街を作るのか、やっぱりそこに住む人、あるいはそうでなくてもやっぱり「みんな」でやるべきものでしょ、と思うようになった。
コトの大小を問わずとにかくどんなイベントであれ、その準備過程と関わる人の数と、それと苦労の大きさが、終わってからの感動に比例するような気がしている。
単純に言えば、苦労が大きければ大きいほど、また、その苦労を味わう人が多ければ多いほど、終わったときの感動は、大きくなるような気がする。
そんな当たり前だが、若いときにはなかなか気づかないかもしれないことを、 子どもが見ている高校を舞台にしたドラマを横で見ながら感じた次第。
まぁいずれにせよ、イベントは人を育てる、とはよく言ったもので、芯となって苦労をすればするほど人間、成長するのは間違いないと思う。
中途半端にチヤホヤされて天狗になっていたのが、今となっては手に取るようにわかる話であるが、当時は真剣にそんなことを考えていた瞬間があった。といっても積極性に欠ける地味なタイプなので、そう思っただけで、それにできあがった作品は、やっぱりみんなの力でいい作品になり、そのときに(かどうか記憶は定かでないが)やっぱりみんなでつくることの大切さを学んだような気がする。
そんな幼少期もあってか?、逆に今は、いかに大勢の人に関わってもらうか、そのプロセスが本当に大事と心底思うようになってきた。特に「まちづくり」という仕事に関わるようになってからは、誰が街を作るのか、やっぱりそこに住む人、あるいはそうでなくてもやっぱり「みんな」でやるべきものでしょ、と思うようになった。
コトの大小を問わずとにかくどんなイベントであれ、その準備過程と関わる人の数と、それと苦労の大きさが、終わってからの感動に比例するような気がしている。
単純に言えば、苦労が大きければ大きいほど、また、その苦労を味わう人が多ければ多いほど、終わったときの感動は、大きくなるような気がする。
そんな当たり前だが、若いときにはなかなか気づかないかもしれないことを、 子どもが見ている高校を舞台にしたドラマを横で見ながら感じた次第。
まぁいずれにせよ、イベントは人を育てる、とはよく言ったもので、芯となって苦労をすればするほど人間、成長するのは間違いないと思う。
by ozin05
| 2010-08-14 21:12
| 日記