2013年 06月 11日
時は見えない
|
天声人語(2013年6月9日)
「時間が足りない」と焦るくせに、「時間をもてあましちゃって」などと言う。思えば、しっくり過不足なく時間が流れることは、人にはまれなのかもしれない。時間を止めたい時があるかと思えば、お金を払ってでも早く過ぎてほしい時がある▼後者の典型は待つ時間だろう。それにも様々なシーンがある。ラブレターの返事を待つのと、舌打ちしながら遅延電車を待つのは違う。通勤電車の場合、10分の遅れで4人に3人がイライラを感じるそうだ▼シチズンホールディングスが、ビジネスに携わる20~50代の男女計400人に聞いた。総合病院では45分までに過半数が、役所なら15分までに7割が「イライラゾーン」に入るようだ▼それでも10年前の調査に比べて気長になっているという。スマホが時間つぶしに役立っているのでは。そんな推測がある一方で、ネットの接続に10秒かかると5割以上がじれるというから皮肉めく▼米の文豪フォークナーが「時計が止まるとき、時間はよみがえる」という意味のことを述べていた。考えてみれば、私たちは時計なしの時間を知らない。時を見た人はいないのに、時計に時を見せられて、いつも小走りに急ぎがちだ▼おそらくは文豪と同じ含みで、「ちっこい機械が悠久の時間を支配すべきだろうか」と書いたのは絵本作家の故・佐野洋子さんだった。あすは時の記念日である。きょうはひとつ、ちっこい機械の文字盤を、しばし忘れてみるのもいい。できればスマホもOFFにして。
確かに、時って見えないのに、時計に見せられて、その時間に縛られている。
このブログで書いたことがあるが、こどもが小さいときに一緒に釣りに行ってて、「あの夕日が海に沈みきったら帰ろう」…みたいなちょっとクサイことをしたことがあるが、それってちっこい機械に支配されていない時間といえるか。
今、思い返しても自然に沿ったゆったりとしたひと時、いかにも豊かな感じがする。
ここんところ我ながらちょっとバタバタしすぎている感もあってよけいにそうなのかもしれないが、まぁそれはそれか。あとは緩急だろう。
by ozin05
| 2013-06-11 00:48
| scrap