2007年 01月 04日
年末年始の日記
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年末年始、ネタはいっぱいあるのに、すっかりサボってしまった。
大晦日の夜は、紅白歌合戦を見ながら年越しそば・・・そんなスタイルを上の娘が今回は敢えて求めているようなところがあって、それってサザエさんとかちびまる子ちゃんの影響だろうか。
そんなんで格闘技は録画しておいて紅白歌合戦を楽しんだ。ちなみに格闘技を見るのは、録画に限ると思う。最近特にそう思う。以前の亀○選手のボクシングで放送局がヒンシュクを買っていたが、試合前の選手紹介が長すぎ。そりゃその紹介によって見る側の気持ちも入っていくのもわかるけど、個人的にはあんまりじっくり見るモンでもないような気がするので、だからそれをどんどん早送りで見ると、あっという間に一通り見終えることができ時間を得した気分になる。
で、紅白。今年は、誰が出場というのも事前に全然チェックしていなかった。あまりテレビを見なくなるとそんな関心もどんどんなくなっていくもんだ、と自分でも不思議な感じになる。いっぽう娘さんは新聞の出演順の欄を切り取ってコタツの上に置いて、キミは何をそんなに気合入れてんねん。
こっちはパソコン触ったり、机の片づけしたりゴソゴソしながら見ていたが、初めて見る歌手や初めて聞く曲のまぁ多いこと。これは誰々というのを子供に教えられるようになってしまって、すっかり年を感じてしまった。
DJ ○ZMAも全然知らなくて、派手でおもろいなぁと思いつつ、話題のラストは私も思いっきりだまされた。「うひょ~、ハダカやん。こんなんNHKでエエんかぁ?」と、子供が見ててどうこうより、NHKでのそれってエエンか、とひとり焦りつつ、それでもちょっと楽しく見ていたらお詫びのコメント。ボディスーツとのことで、なーんやそうだったんか、でもそれならそれでその衣装エエなぁ、欲しいなぁ、使えるよなぁ(何にや)…などと思う。
明けて1月1日。新聞のコラムに、「神に供えたお下がりをみなで食べ合うものだったおせち料理は、デパートの目玉商品に成り下がった。」という一文があって、その通りだと思った。
おせちを買う、というのには私はどうも抵抗があって、何年か前に、高級おせちが百貨店で売られているニュースを初めて見たとき、そんなもん家で作るもんやと信じていた私は「なんじゃそりゃ」と思ってしまった。そりゃ年齢や家族構成や仕事の事情等で買ったほうが都合のいいご家庭もあるんだろうけど、自分としてはやっぱりおせちは買うより作ってもらいたい。特に子供がいる内は、母親が時間をかけておせち料理を作っているところを子供に見せておきたい。
食品の安全について書かれた安部司氏の本にも、手間ヒマかけて料理を作る過程を見せることで、食べ物や母親のありがたさを伝えなければならない、というような話もあったが、その通りだと思う。
ただ、私がおせちを作るわけでもないし、実際に作る側の嫁はそんな事を言われることを嫌がっている様子。それに正月関連で言うと、しめ縄は自分では作らずに買ってきている。
このしめ縄、私の中では買って当たり前になっていたが、数年前に自分で作っているという友人の話を聞いたことがあって、お父さんがずっとそうしていてその彼もならって作っているという。なんだかそれを聞いて、しめ縄なんか作ったことのない自分が少し恥ずかしい気になってしまった。そういやうちの親父も小さな小さな手のひらサイズであるが門松を自分で作っていた。しめ縄や門松がどんなもので構成されていて、それにどんな意味があるのか、実は、私は全然わかっていない。
やっぱりそれぐらいのことは、子と一緒に自らの手ですべきことなんだろう、と思う。そう思いながら、思うだけで結局今回もやっていないけど。
昨年、地元の祭りの年長を務めて、これまでになく深く祭りに関わりいろんな慣わしの意味を学ぶことができた。「なぜそうなっているのか」ひとつひとつ全てのことに意味やいわれがあって、それを知る楽しさがあった。
祭りや生活での慣わしもそうだが、当然仕事にも「これって何のためか」、という本質が必ずあるわけで、その本質を見誤ることなく、また見失うことなく常にきちんと押さえた上で事にあたる、というのはやっぱり大事や…と年頭に改めて思った。
大晦日の夜は、紅白歌合戦を見ながら年越しそば・・・そんなスタイルを上の娘が今回は敢えて求めているようなところがあって、それってサザエさんとかちびまる子ちゃんの影響だろうか。
そんなんで格闘技は録画しておいて紅白歌合戦を楽しんだ。ちなみに格闘技を見るのは、録画に限ると思う。最近特にそう思う。以前の亀○選手のボクシングで放送局がヒンシュクを買っていたが、試合前の選手紹介が長すぎ。そりゃその紹介によって見る側の気持ちも入っていくのもわかるけど、個人的にはあんまりじっくり見るモンでもないような気がするので、だからそれをどんどん早送りで見ると、あっという間に一通り見終えることができ時間を得した気分になる。
で、紅白。今年は、誰が出場というのも事前に全然チェックしていなかった。あまりテレビを見なくなるとそんな関心もどんどんなくなっていくもんだ、と自分でも不思議な感じになる。いっぽう娘さんは新聞の出演順の欄を切り取ってコタツの上に置いて、キミは何をそんなに気合入れてんねん。
こっちはパソコン触ったり、机の片づけしたりゴソゴソしながら見ていたが、初めて見る歌手や初めて聞く曲のまぁ多いこと。これは誰々というのを子供に教えられるようになってしまって、すっかり年を感じてしまった。
DJ ○ZMAも全然知らなくて、派手でおもろいなぁと思いつつ、話題のラストは私も思いっきりだまされた。「うひょ~、ハダカやん。こんなんNHKでエエんかぁ?」と、子供が見ててどうこうより、NHKでのそれってエエンか、とひとり焦りつつ、それでもちょっと楽しく見ていたらお詫びのコメント。ボディスーツとのことで、なーんやそうだったんか、でもそれならそれでその衣装エエなぁ、欲しいなぁ、使えるよなぁ(何にや)…などと思う。
明けて1月1日。新聞のコラムに、「神に供えたお下がりをみなで食べ合うものだったおせち料理は、デパートの目玉商品に成り下がった。」という一文があって、その通りだと思った。
おせちを買う、というのには私はどうも抵抗があって、何年か前に、高級おせちが百貨店で売られているニュースを初めて見たとき、そんなもん家で作るもんやと信じていた私は「なんじゃそりゃ」と思ってしまった。そりゃ年齢や家族構成や仕事の事情等で買ったほうが都合のいいご家庭もあるんだろうけど、自分としてはやっぱりおせちは買うより作ってもらいたい。特に子供がいる内は、母親が時間をかけておせち料理を作っているところを子供に見せておきたい。
食品の安全について書かれた安部司氏の本にも、手間ヒマかけて料理を作る過程を見せることで、食べ物や母親のありがたさを伝えなければならない、というような話もあったが、その通りだと思う。
ただ、私がおせちを作るわけでもないし、実際に作る側の嫁はそんな事を言われることを嫌がっている様子。それに正月関連で言うと、しめ縄は自分では作らずに買ってきている。
このしめ縄、私の中では買って当たり前になっていたが、数年前に自分で作っているという友人の話を聞いたことがあって、お父さんがずっとそうしていてその彼もならって作っているという。なんだかそれを聞いて、しめ縄なんか作ったことのない自分が少し恥ずかしい気になってしまった。そういやうちの親父も小さな小さな手のひらサイズであるが門松を自分で作っていた。しめ縄や門松がどんなもので構成されていて、それにどんな意味があるのか、実は、私は全然わかっていない。
やっぱりそれぐらいのことは、子と一緒に自らの手ですべきことなんだろう、と思う。そう思いながら、思うだけで結局今回もやっていないけど。
昨年、地元の祭りの年長を務めて、これまでになく深く祭りに関わりいろんな慣わしの意味を学ぶことができた。「なぜそうなっているのか」ひとつひとつ全てのことに意味やいわれがあって、それを知る楽しさがあった。
祭りや生活での慣わしもそうだが、当然仕事にも「これって何のためか」、という本質が必ずあるわけで、その本質を見誤ることなく、また見失うことなく常にきちんと押さえた上で事にあたる、というのはやっぱり大事や…と年頭に改めて思った。
by ozin05
| 2007-01-04 20:59
| 日記