2007年 02月 05日
第12回口熊野マラソン
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4日の日曜日は、口熊野マラソンだった。
この大会には、公認のコースもあって地元のみならず遠方からも多くの参加者が集まる。ハーフしか走ったことないけど、コースは比較的フラットでとても走りやすい。平成16年に初めて参加して、今回で4回目となる。
恥を忍んでこれまでの記録を書くと、
2004(平成16)年 1時間48分
2005(平成17)年 1時間44分
03年に美山村の大会で初めてハーフマラソンを走った。その後、他にも近場でいくつか大会に出ていたが、口熊野では、上記二回とも当時の自己ベストの記録。まだ始めて間もない頃で記録も出やすかったんだろうが、それでも先に書いたように、コースも平坦で走りやすく、街中を走るので沿道の応援も多く、それに地元なので選手もボランティアにも知った顔が多くて、とてもいい励みになる。そんなこんなで自分の中では、一番のメインの大会に位置づけている。この大会があるからこそ練習しているようなもんだ。
そんな大会だし、いい感じで記録も伸びていたので、いよいよ次は40分や、と思っていたところが、前回は大会前に痛恨の肉離れをおこし、練習不足のまま本番を迎えた。タイムは、
2006(平成18)年 1時間48分 だった。
で、今年の大会。実はまもなく誕生日を迎えるので、今回が丁度20代最後の、ひとつの区切りとなる大会でもある。・・・・・・すいません、ウソです。30代最後となる大会。(誰に謝ってるんだ)
昨年の大会が終わったとき、30代最後の次の口熊野で1時間40分を切る、というのを密かな目標にしていた。ただ、そう思いながら具体的に動き出したのは昨年の秋からで、それなりに準備もしたけど、実際、練習では20キロも走らないし、1キロのタイムも5分30秒そこそこのペースでしか走っていない。
ちなみに1時間40分を切ろうと思ったら、キロ4分45秒で走り続けなければならない。正直ちょっと厳しい印象だが、でも、この前の龍神で、思わぬ自己ベストの1時間43分台が出ている(@4分54秒)し、レース独特の雰囲気でテンションアゲアゲでいけば、もしかして可能性はないことはないのではないか、と思ったりしていた。
だから、事前に知人同士で目標タイムの話をするときも、「とりあえずは自己ベスト更新。あわよくば40分切り」と控えめにしていた。
まぁそれでも数ヶ月は、練習以外でもできるだけ自転車通勤にして(って直前の一週間はやたら飲み会が多くて、自転車通勤せざるを得なかったのだが)、風邪予防に手洗いうがいを励行したし、それにイカ釣りも自粛したし、とにかくいろんなことを本番への備えにして準備を整えた。
本番当日は、以前ブログにも書いた鼻に貼るテープを、初めてレースで使うことにした。靴下は、大阪の主婦さんに教えてもらったタピオのレース用ソックス大崎モデル。靴は、以前から使っているレース用にして、ちょっと風は強いけど天気もいいし、さぁ、気合も十分!
しかし、この気合が裏目にでた。
スタートして少し走ってみて身体も軽くいい感じ。途中から、ちょっとこの人速いかなぁと思われる選手(全然知らん人)に引っ張ってもらうようについていって、10キロの通過タイムが、46分25秒弱。1キロあたり4分40秒を切っている。やっぱりちょっと速い目。普段の練習でのタイムより1分近く速いが、でもほぼ目標タイムでもあるし、前半で少し貯金をしておくのもエエかと思っていた。が、これが大きな間違いで、だんだんついていくのがきつくなってくる。
自己ベストを狙うんやから少しきつい目で頑張らねば、と思うが、しんどいモンはしんどいわけで、折り返し付近の給水ポイントで前を走る選手に少し離されると、もうついていけなくなった。その頃から、どんどんどんどんしんどくなってきて、しかも前後の選手と妙に離れて一人で走っている状況が続く。人に引っ張ってもらってギリギリのペースだったのに、これはかなり厳しい。
やばい。完全にペース配分を間違えた。周りの応援や景色も目に入らず、キツさが増すばかり。30代最後のレース、最悪の展開だ。後悔してももう遅い。くそー。
とにかく苦しく苦しくて仕方がないので、以前、マラソン中継で解説の人が「苦しいところをピッチでかせいでいますねぇ」と話していたのを思い出し、歩幅を狭めてしばらく走ったり、あるいは給水所で屈伸したりした。それとか、この前の大阪国際女子で前半トップの渋井が落ちていきながらも、頑張っている様子を思い浮かべたり、その大会で優勝した原選手が「支えてくれたみんなへの恩返しをしたくて走った」というようなコメントを思い出しつつ、自分の練習は誰に支えてもらったわけでもないが、周りの人達を思い浮かべ、このままずるずる落ちたらブログネタにもならん、とそんなことも励みに考えながら、ふとそういや数日前に同級生と飲みながら、口熊野で40分切りの話をしたことを思い出した。
別にその彼らと張り合っているわけでもなんでもないが、やっぱり目標未達の話はしたくない、と思ううちに、その飲み会に同席していた彼らの名前を並べて、「○ズ○ザイン、Tっかし、Tじー、○ズ○ザイン、Tっかし、Tじー…(敬称略)」と頭の中でリズムを取っていた。そのリズムで走っているうちに、少し気も紛れてちょっといい感じに回復してきて、最初の人とは違うが、前を走る選手にも追いついて引っ張ってもらえる体制に入れた。
ようやく15キロの表示が見えたとき、時計を見ると1時間9分。瞬間、「お、これだったらキロ5分で走っても25分。最終1時間35分でゴールできるやん。余裕や。」と喜んだ。
人間、苦しくなると計算もできなくなる。しばらく走ってから、「あれ?ちゃうちゃうハーフマラソンは21キロや。残り6キロやがな。うへー、この1キロが余計じゃ。」、などと一人ムカつきながら「アカン、ギリギリや・・・」 焦る。
かといってペースを上げることなんてできないし、とにかくガックリ落ちないように、あと何分の辛抱、あと何分の辛抱と、言い聞かせながら、今にも途切れそうな気持ちをなんとかかんとかつなぎとめた。
ゴール前の直線、沿道には大勢の応援の観客がいたが、最後はその応援も時計も何も見るゆとりもなく、(おそらく)すごくぶざま姿のダッシュで必死のゴール!
タイムは、1時間39分。目標達成・・・。
ゴール後、途中から違和感のあった両ふくらはぎが、ピクピクし始めて歩行もままならない。ヨボヨボで着替えだけして、更衣室の隣に無料サービスで設営されたマッサージ室のベッドに横たわると、ピキーンと両足ともに痙攣した。歩けるまでに回復するのにすごく時間がかかって、結局、同じラグビークラブのメンバーや、久々出場の職場のN本氏など、ほとんどの人のゴールシーンを見ることなく、ずーっと足を伸ばしてもらっていた。
とにもかくにも、なんとか目標がクリアできて、ホントにうれしい思い出の大会となった。
この大会には、公認のコースもあって地元のみならず遠方からも多くの参加者が集まる。ハーフしか走ったことないけど、コースは比較的フラットでとても走りやすい。平成16年に初めて参加して、今回で4回目となる。
恥を忍んでこれまでの記録を書くと、
2004(平成16)年 1時間48分
2005(平成17)年 1時間44分
03年に美山村の大会で初めてハーフマラソンを走った。その後、他にも近場でいくつか大会に出ていたが、口熊野では、上記二回とも当時の自己ベストの記録。まだ始めて間もない頃で記録も出やすかったんだろうが、それでも先に書いたように、コースも平坦で走りやすく、街中を走るので沿道の応援も多く、それに地元なので選手もボランティアにも知った顔が多くて、とてもいい励みになる。そんなこんなで自分の中では、一番のメインの大会に位置づけている。この大会があるからこそ練習しているようなもんだ。
そんな大会だし、いい感じで記録も伸びていたので、いよいよ次は40分や、と思っていたところが、前回は大会前に痛恨の肉離れをおこし、練習不足のまま本番を迎えた。タイムは、
2006(平成18)年 1時間48分 だった。
で、今年の大会。実はまもなく誕生日を迎えるので、今回が丁度20代最後の、ひとつの区切りとなる大会でもある。・・・・・・すいません、ウソです。30代最後となる大会。(誰に謝ってるんだ)
昨年の大会が終わったとき、30代最後の次の口熊野で1時間40分を切る、というのを密かな目標にしていた。ただ、そう思いながら具体的に動き出したのは昨年の秋からで、それなりに準備もしたけど、実際、練習では20キロも走らないし、1キロのタイムも5分30秒そこそこのペースでしか走っていない。
ちなみに1時間40分を切ろうと思ったら、キロ4分45秒で走り続けなければならない。正直ちょっと厳しい印象だが、でも、この前の龍神で、思わぬ自己ベストの1時間43分台が出ている(@4分54秒)し、レース独特の雰囲気でテンションアゲアゲでいけば、もしかして可能性はないことはないのではないか、と思ったりしていた。
だから、事前に知人同士で目標タイムの話をするときも、「とりあえずは自己ベスト更新。あわよくば40分切り」と控えめにしていた。
まぁそれでも数ヶ月は、練習以外でもできるだけ自転車通勤にして(って直前の一週間はやたら飲み会が多くて、自転車通勤せざるを得なかったのだが)、風邪予防に手洗いうがいを励行したし、それにイカ釣りも自粛したし、とにかくいろんなことを本番への備えにして準備を整えた。
本番当日は、以前ブログにも書いた鼻に貼るテープを、初めてレースで使うことにした。靴下は、大阪の主婦さんに教えてもらったタピオのレース用ソックス大崎モデル。靴は、以前から使っているレース用にして、ちょっと風は強いけど天気もいいし、さぁ、気合も十分!
しかし、この気合が裏目にでた。
スタートして少し走ってみて身体も軽くいい感じ。途中から、ちょっとこの人速いかなぁと思われる選手(全然知らん人)に引っ張ってもらうようについていって、10キロの通過タイムが、46分25秒弱。1キロあたり4分40秒を切っている。やっぱりちょっと速い目。普段の練習でのタイムより1分近く速いが、でもほぼ目標タイムでもあるし、前半で少し貯金をしておくのもエエかと思っていた。が、これが大きな間違いで、だんだんついていくのがきつくなってくる。
自己ベストを狙うんやから少しきつい目で頑張らねば、と思うが、しんどいモンはしんどいわけで、折り返し付近の給水ポイントで前を走る選手に少し離されると、もうついていけなくなった。その頃から、どんどんどんどんしんどくなってきて、しかも前後の選手と妙に離れて一人で走っている状況が続く。人に引っ張ってもらってギリギリのペースだったのに、これはかなり厳しい。
やばい。完全にペース配分を間違えた。周りの応援や景色も目に入らず、キツさが増すばかり。30代最後のレース、最悪の展開だ。後悔してももう遅い。くそー。
とにかく苦しく苦しくて仕方がないので、以前、マラソン中継で解説の人が「苦しいところをピッチでかせいでいますねぇ」と話していたのを思い出し、歩幅を狭めてしばらく走ったり、あるいは給水所で屈伸したりした。それとか、この前の大阪国際女子で前半トップの渋井が落ちていきながらも、頑張っている様子を思い浮かべたり、その大会で優勝した原選手が「支えてくれたみんなへの恩返しをしたくて走った」というようなコメントを思い出しつつ、自分の練習は誰に支えてもらったわけでもないが、周りの人達を思い浮かべ、このままずるずる落ちたらブログネタにもならん、とそんなことも励みに考えながら、ふとそういや数日前に同級生と飲みながら、口熊野で40分切りの話をしたことを思い出した。
別にその彼らと張り合っているわけでもなんでもないが、やっぱり目標未達の話はしたくない、と思ううちに、その飲み会に同席していた彼らの名前を並べて、「○ズ○ザイン、Tっかし、Tじー、○ズ○ザイン、Tっかし、Tじー…(敬称略)」と頭の中でリズムを取っていた。そのリズムで走っているうちに、少し気も紛れてちょっといい感じに回復してきて、最初の人とは違うが、前を走る選手にも追いついて引っ張ってもらえる体制に入れた。
ようやく15キロの表示が見えたとき、時計を見ると1時間9分。瞬間、「お、これだったらキロ5分で走っても25分。最終1時間35分でゴールできるやん。余裕や。」と喜んだ。
人間、苦しくなると計算もできなくなる。しばらく走ってから、「あれ?ちゃうちゃうハーフマラソンは21キロや。残り6キロやがな。うへー、この1キロが余計じゃ。」、などと一人ムカつきながら「アカン、ギリギリや・・・」 焦る。
かといってペースを上げることなんてできないし、とにかくガックリ落ちないように、あと何分の辛抱、あと何分の辛抱と、言い聞かせながら、今にも途切れそうな気持ちをなんとかかんとかつなぎとめた。
ゴール前の直線、沿道には大勢の応援の観客がいたが、最後はその応援も時計も何も見るゆとりもなく、(おそらく)すごくぶざま姿のダッシュで必死のゴール!
タイムは、1時間39分。目標達成・・・。
ゴール後、途中から違和感のあった両ふくらはぎが、ピクピクし始めて歩行もままならない。ヨボヨボで着替えだけして、更衣室の隣に無料サービスで設営されたマッサージ室のベッドに横たわると、ピキーンと両足ともに痙攣した。歩けるまでに回復するのにすごく時間がかかって、結局、同じラグビークラブのメンバーや、久々出場の職場のN本氏など、ほとんどの人のゴールシーンを見ることなく、ずーっと足を伸ばしてもらっていた。
とにもかくにも、なんとか目標がクリアできて、ホントにうれしい思い出の大会となった。
by ozin05
| 2007-02-05 22:46
| 日記